どうも、トッシーこと北代さん家の旦那です。
いつもカフェかファミレスとかで仕事をしているのですが(最近、電源を常設しているところが増えたおかげで本当に助かっています。感謝!!)、今日は初めて図書館に来てみました。
自宅からの圏内では、逗子市立図書館が良さそうだということで来てみましたが、いやー素晴らしいですココ!
天井も高く開放的で、図書館だから静かで集中できるし最高ですね!
パソコン用の席もあるので、モバイル(いわゆるノマドワーカー的な意味)で仕事されている方はおススメです。
早くも逗子に引っ越したくなってきた私ですが(笑)
今日は、自分についての第二弾書いてみたいと思います。
常識って何かを考えさせられたオーストラリアでの生活
タイトルにある、「常識にとらわれなくて良いんだと強く考えるようになった出来事」っていうのはオーストラリアで生活のことです。
大学院の時に1年休学してオーストラリアにワーホリ(ワーキングホリデー)に行ったのですが、その時に自分にとって得たものの中でも結構大きかったのってこれかなと思います。
オーストラリアにいた時は、自分にとっての下り坂を下っていた頃なので、実はあまり大きな成果というか得られたものって、他の海外滞在経験のある人と比べると少ないんじゃないかと思っています。
けど、この常識ってことの本質については、ここでの滞在のおかげで理解できたなと思っています。
常識とは文化と風習の集大成
これが、常識の本質だと思います。
もっと突っ込んでいえば、「その地域や集団によって自然発生的に(というか勝手に?w)創り上げられた何を善しとするかの判断軸」ってことだなと思います。
もう10年近く前のことなので、色々考えさせられた出来事はあったはずなのですが忘れているものも多くありまして(^^;)
そのころの衝撃を持ってお伝え出来ないのが残念なのですが、今覚えていることでお話しすると、
「お店の開店時間」という考え方
にものすごく衝撃を受けました。
これ、海外あるあるなんでそれ自体大したことなというかごく当たり前の出来事なんですけど、その時の衝撃は自分にとってはものすごかったです。
閉店時間が17時のスーパーでアルバイトとして働いているのをイメージしてください
皆さんだったら何時にお店を閉めますか?
「そりゃ17時でしょ」
って答えになると思います。
本当にそうですか?
実際は、17時10分とか下手したら17時20分(中には17時半?!)くらいまで開けている場合も多いんじゃないでしょうか?
てか、日本だとほとんどそんな感じじゃないかと思います。
でも、オーストラリアだとどうかというと、、、
16時45分には閉めるんです!!
16時45分ですよ?CLOSE 5pm って書いてますよね?まだ後15分ありますよね?
まだトイレットペーパー買えますよね?!
家のトイレットペーパーがなくなってこっちは走って買いにきたんですよ!
まさか手でケツを拭けって言うつもりですか?!
16時45分に店に着いたら、既にCLOSEの札が下がっていて、「まだ空いてますか~?」って入ったら、「看板見ろ」って言われて、「でも17時CLOSEですよね」って言ったら、「ちゃんと時間を見ろ!」って言われて「だからまだ16時45分だからwww」って言ってなんとかトイレットペーパーをゲットしました。
オーストラリアではこれが普通です!(;´Д`)
良心的なお店でも17時きっかりに閉めるので、10分前くらいからは閉めの作業を始めて、早く帰れって言われます。
(少なくとも10年前はですが。)
それを現地の友人に話すと「そんな時間に行ったToshiyaが悪いよ~ハハ」って感じでした。
常識なんて幻想です
もう本当にそう思いましたね。
常識なんてのは、その集団やコミュニティ、地域の中だけで通用するものであって、その外に出たら一切通用しなくなるんだなって。
(あ、一切は言い過ぎましたね、訂正します。一部は通用するものもありますもんね。)
この、閉店時間の話って、オーストラリア人はレイジー(怠け者)で日本人は勤勉だって話じゃなくて、価値観の問題なんです。
オーストラリア人にとっては、仕事は17時までだから17時に帰るのを善しとしていて、
日本人にとっては、お店は17時までで18時に帰るのを善しとする
ってだけなんですよね。(もちろん、17時から締めの作業でお仕事があるってこともあると思いますけどそれは今回は考慮せずでお話してます。)
しかも仕事としてお給料をもらうのも17時までってパターンもあって、残業もつけないのが美徳みたいなことも、日本という国の常識にはあると思います。(最近はそれもなくなってきたかな?)
だから、常識ってあたかもそれが「当たり前の善」として思われがちなんだけど、実は全然そんなんじゃないです。
「たまたまそこにいた人たちが作り上げた善悪の判断軸とかルール」ってだけで、それが絶対に正しいってものでは決してないんですよね。
自分が何を善しとするのかが大事
その時に、「結局は、自分がしっかりしなきゃいかんな」と思ったわけです。
まぁ、「海外で生活してみたい!」って理由でワーホリに行ってるので、その頃から今後はますますグローバル化が進んで世界の境界線が薄くなっていくという意識はあったんで、
「グローバル化が進むということは、国や地域の常識が通用しなくなる」ってことだなと思いました。
ならば、「何を善しとするのか」というのは自分できちんと判断できるようにならなきゃいけないなと思ったのです。
常識という軸も使えない、オトナの価値観は非グローバル化時代の価値観だからそこにも頼れない、そうしたら頼れるのは自分だけだなと。
こんな些細な出来事でしたが(むしろ笑い話ですが)、常識にとらわれないで生きていこうと強く思わされた出来事でした。
物事の本質を見る視点を養う
そこで大事なのは、「本質を見る視点」だと思います。
これは、例えば常識的に正しいとされている事柄に対して、「本当にこれは正しいのか」「これが正しいと言われている本当の理由は何なんだろう」と深く考えることです。
例えば、歩行者用の信号機。
(これが良い例えか分からないですが、これもオーストラリアで考え方が変わったことの一つなのでここに挙げておきます。)
車が通っていなくても、日本人は結構ちゃんと赤になったら止まりますよね。
けど、オーストラリア人は赤でも平気でバンバン渡っちゃう。
赤なのに渡ろうとした友人に「赤だよね?渡って良いの?」って聞いたことがあります。
そしたら、
「信号は事故が起こらないためにあるものでしょ?車が通ってないんだから事故が起きようにない。だから事故が起きないんだから渡っても良いんだよ。」
これに確かにと思いました。
それ以降は、私は日本でも車が通っていなければ横断歩道を赤で渡るようになりました(笑)
日本の良い子はマネしないように!!(笑)
本質を見失うと、ルールでそうなってるからダメって理屈になっちゃうんです。
そして、本質を理解しないままそのルールとか常識とかに縛られちゃう。
でも、その本質をきちんと理解したうえで、「それでも俺は私は赤信号では渡らない」と自分軸で決めるってのはスゴイ素敵だと思いますし尊敬します。
ついつい私たちは表面だけを見て判断しがちなのですが、そのままを鵜呑みにしないできちんと本質を見ることがルールや常識にも縛られない秘訣だと思います。
ちなみに、「本質」ってなんだか難しそうに感じますが、常に本質を見ようと意識するだけで本質を見れるようになってきますので、そんな大した事でもないです。訓練ですね。
常識にとらわれないってところが私の唯一の強み?!
かなと思っています(笑)
まぁ数秘33なんである意味しょうがないですね。
これからも、きっと常識にとらわれない生き方をしていくと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
本質的な視点で物事をとらえるということに関してはまぁまぁイケるクチだと思っていますので、そんな視点からアドバイスを受けてみたい方は私がやっているNumero Spaceの数秘メンタリングもぜひ!